サンピエール島・ミクロン島 (Saint Pierre and Miquelon)
群島を構成するのは主に2つの島である. サン=ピエール島は海外準県の人口のおよそ86%が集中する最小の島であり、ミクロン島は3つの半島で構成されている. 他にも無人島や小島がある(ヴェルト島の主権は、フランスとカナダの間で係争中である).
群島は、アメリカ大陸に7つあるフランス領土(グアドループ、マルティニーク、ギュイヤンヌ・フランセーズ、サン・マルタン島、サン・バルテルミー島、クリッパートン島)の1つであり、18世紀半ばの七年戦争で失われたヌーヴェルフランスの北アメリカ唯一の名残である.
1520年、ポルトガル人航海者ジョアン・アルヴァレス・ファグンデスは、ケルンのウルスラに敬意を表して(上陸日が聖名祝日であった)、群島を『1万1千人のおとめ群島』(l'archipel des onze mille vierges)と名付けた. その後1536年6月に航海中であったジャック・カルティエは聖ピエール島(Isle Sainct Pierre)と名付けた. ピエール(ペトロ)は漁師の守護聖人である(同様に、アンドレ、パドヴァのアントワーヌ、ミラのニコラ、ヴェローナのゼノンも漁師の守護聖人である ).
ミクロンという名は、ニューファンドランド島へ向かう途上であったバスク人船長マルティン・オヤルサバルが、16世紀に記した航海マニュアルにおいて、Micquelleという形で見いだせる. ミクロンというのはおそらく、ミシェル(Michel)という人名から派生したものと考えられる. なお、この人名に対応するバスク語での形は、厳密にはミケル(Mikel)となる.
隣接する島の名称、ラングラードは1610年から1675年にTerra England、1670年のヴィシェール地図においてLanglois、1674年のドニ・ド・ロティス地図でc dangleterre 、1675年のソーントン地図でLanaloy、1675年にI anglois miclon、1677年にAngueleterraco、1693年にLanglois、1694年にCap de Langlais、1700年と1719年、1721年の地図ではLangloisというつづりであったことが証明されている.