ルーマニア語

ルーマニア語
ルーマニア語(ルーマニアご、limba română リンバ・ロムナ)は、ルーマニアの公用語であり、またその周辺地域でも使用されている言語である. インド・ヨーロッパ語族ロマンス諸語に分類されるが、孤立して発達したために他のロマンス諸語との違いが大きい. モルドバ語はルーマニア語とほぼ同じ言語である. アルーマニア語は、ルーマニア語の方言とされる事もあるが、意思疎通が困難である.

ダキア・ルーマニア語は、ラテン口語やダキア・トラキア語などを起源にもつバルカン・ロマンス語の一方言がスラヴ諸語などの強い影響を受けたことにより、中世に成立した. 現在のルーマニア語諸方言は、7世紀から10世紀のある時点までは、ひとつの言語だったと考えられている.

周辺にスラヴ語民族が多く、教会(現在のルーマニア正教会)の典礼言語がかつては教会スラヴ語であったことから、スラヴ語の影響が極めて強い. 語彙の20%がスラヴ語からの借用である. ただし、200語程度の基礎語彙に限れば90%以上がラテン語に由来する. また、ドイツ語、ハンガリー語やブルガリア語とギリシア語とトルコ語の影響も受けている.

18世紀に行なわれた“浄化”運動により、アルファベットをキリル文字からラテン文字に改めるとともに、ブルガリア語などのスラヴ諸語やハンガリー語、ギリシア語、トルコ語などの影響をラテン語、フランス語、イタリア語などからの借用により排除する、国家によるロマンス語化が進められ、今日に繋がるルーマニア語を造成した. しかしながらスラヴ語の影響を完全に除去することは出来なかった. モルドバではソ連の支配下に入ると再びキリル文字表記となり(モルドバ語の呼称が与えられ別の言語とみなされた)、独立後はラテン文字表記に戻った.

特筆すべきこととして、ルーマニア語は、東方正教会を信仰する地域の言語であるため、他のロマンス語と異なり、文化的にほとんどローマ・カトリックの影響を受けていないことが挙げられる. ルーマニア語訳聖書は早くも、1688年に『ブカレスト聖書』(Bucharest Bible、キリル文字使用)が発行された.

  • モルドバ
    モルドバ共和国(モルドバきょうわこく、Republica Moldova)、通称モルドバ、モルドヴァ(Moldova )は、東ヨーロッパの内陸国. 西はルーマニア、北・東・南はウクライナと国境を接し、面積は3万3851平方キロメートル. 首都および最大都市はキシナウである. ウクライナとの国境に挟まれたドニエストル川左岸(トランスニストリア地域)には、中央政府の実効支配が及んでいない「沿ドニエストル共和国」を称する、国際的にはほぼ未承認の国家がある.

    モルドバの国土は、歴史的にモルダヴィアと呼ばれた、ウクライナ南西部やルーマニア北東部も含む地域の一部にある. 1349年に建国されたボグダニア公国が後にモルダヴィア公国へ発展したものの、1512年にオスマン帝国の属国となった. 北から伸張したロシア帝国が度重なる露土戦争でオスマン帝国を圧迫し、ヤシ条約でトランスニストリア南部を、1812年のブカレスト条約ではモルドバの国土の大半に当たるベッサラビアを併合した. 1856年、ベッサラビア南部はモルダヴィアに返還され、3年後にモルダヴィアはワラキアと統合してルーマニア公国となったが、1878年に全土がロシア帝国に支配されるようになった. 1917年のロシア革命では、ベッサラビアは一時モルダヴィア民主共和国と呼ばれるロシア共和国の自治州となった. 1918年2月、モルダヴィア民主共和国は独立を宣言し、同年末、議会の議決を経てルーマニア王国に統合された. この決定にはソビエトロシアも異を唱え、1924年にはウクライナ・ソビエト社会主義共和国内で、ベッサラビア東部の一端に設けられたモルドバ人居住地にモルダヴィア自治共和国を建国した.
  • ルーマニア
    ルーマニア()は、東ヨーロッパ、バルカン半島東部に位置する共和制国家. 首都はブカレスト. 南西にセルビア、北西にはハンガリー、北がウクライナ、北東をモルドバ、南にブルガリアと国境を接し、東は黒海に面している.

    国土の中央をほぼ逆L字のようにカルパティア山脈が通り、山脈に囲まれた北西部の平原のトランシルヴァニア、ブルガリアに接するワラキア、モルドバに接するモルダヴィア、黒海に面するドブロジャの4つの地方に分かれている.