アルツヴァシェン (Artsvashen)
アルツヴァシェン(Արծվաշեն, 「鷲の街」の意)は、アルメニアのゲガルクニク地方に属する村. 飛び地であり、周囲は完全にアゼルバイジャンによって囲まれている. 面積は約40平方キロメートル. ナゴルノ・カラバフ戦争の結果、1992年以来アゼルバイジャン軍によって占領されている. アゼルバイジャン語での公式名称は「バシュケンド」(Başkənd). 今日ではアゼルバイジャン軍がアルメニア人を追い出したため、住民のほとんどがアゼルバイジャン人である. アゼルバイジャンは、この村をの一部として統治している.
現在の村は1854年に「バシュケンド」(Բաշքենդ)として出身のアルメニア人によって設置された. 実際には、1607年にはアルメニア人が住んでいたとの記録が、町のスルブ・ホヴハンネス教会に残っている. 後にバシュケンドからの移民が設置した「ノル・バシュケンド」(新バシュケンド)と区別する為に「ヒン・バシュケンド」(旧バシュケンド、Հին Բաշքենդ)に変更された.
ナゴルノ・カラバフ戦争中の1991年5月、アルメニア内務大臣は、アルツヴァシェンの住民は武装解除によって軍事占領を免れたと報告した. 『ニューヨーク・タイムズ』によると、翌年にはアゼルバイジャンが軍事力を以て町を「解放」したと宣言した. アゼルバイジャンは敵の戦車を破壊し、300人のアルメニア人「略奪者」を殺害した. アルメニア側の報告では死者はいないが29人が「跡形も無く消えている」. アルメニア大統領のレヴォン・テル=ペトロシャンは、「宣戦布告の無い戦争」を起こしたとアゼルバイジャンを非難する電報をCIS指導者に送った. 電報では「CISの集団安全保障の参加国に対して侵略が発生した」と述べられている.
現在の村は1854年に「バシュケンド」(Բաշքենդ)として出身のアルメニア人によって設置された. 実際には、1607年にはアルメニア人が住んでいたとの記録が、町のスルブ・ホヴハンネス教会に残っている. 後にバシュケンドからの移民が設置した「ノル・バシュケンド」(新バシュケンド)と区別する為に「ヒン・バシュケンド」(旧バシュケンド、Հին Բաշքենդ)に変更された.
ナゴルノ・カラバフ戦争中の1991年5月、アルメニア内務大臣は、アルツヴァシェンの住民は武装解除によって軍事占領を免れたと報告した. 『ニューヨーク・タイムズ』によると、翌年にはアゼルバイジャンが軍事力を以て町を「解放」したと宣言した. アゼルバイジャンは敵の戦車を破壊し、300人のアルメニア人「略奪者」を殺害した. アルメニア側の報告では死者はいないが29人が「跡形も無く消えている」. アルメニア大統領のレヴォン・テル=ペトロシャンは、「宣戦布告の無い戦争」を起こしたとアゼルバイジャンを非難する電報をCIS指導者に送った. 電報では「CISの集団安全保障の参加国に対して侵略が発生した」と述べられている.
地図 - アルツヴァシェン (Artsvashen)
地図
国 - アルメニア
アルメニアの国旗 |
西アジアのアルメニア高原に位置し 、西はトルコ、北はジョージア、東はアゼルバイジャンと事実上の独立国であるアルツァフ共和国、南はイランとアゼルバイジャンの飛び地ナヒチェヴァンと国境を接する. 古代の文化遺産を持つ、複数政党制・民主主義の国民国家である. 同国は発展途上国であり、人間開発指数(2018年)では81位にランクされている. 経済は、主に工業生産と鉱業に基づいている. ユーラシア経済連合、欧州評議会、集団安全保障条約機構に加盟している.