パヴロダル (Pavlodar Region)
1720年、ロシアにより前哨基地として建設された. 1861年に市制施行. 塩や農産物の取引は盛んだったものの、1897年の人口は約8,000人に過ぎなかった. 1960年代半ば以降、石油精製、機械製造、冶金、アルミニウム精錬など工業化が進められ、カザフスタンを代表する工業都市となった.
パヴロダルはカザフスタンの中でも長い歴史を持つ都市の一つである. 18世紀初頭のロシアはエルティシ川沿いに前哨基地建設を進めており、1720年、この地にも基地が建設された. 近くにあったコリャコフ湖で採掘された塩はロシア全土に運ばれ、軍事基地というよりも交易都市として繁栄することとなった. 1770年にこの地を訪れたペーター・ジーモン・パラスは、エルティシ川沿いの他の前哨基地と比べて、この地が賑やかで建物も立派であると評した.
1838年、湖の名ににちなんでコリャコフ村と名付けられた. 19世紀半ばには商人階級が生まれたが、その多くはロシア人やタタール人であった.
1861年、市制が敷かれパヴロダル市となった. 名称は1860年に生まれたアレクサンドル2世の第6皇子パーヴェル・アレクサンドロヴィチに由来する.
1901年の人口は7,730人(男4,160人、女3,570人)であった. コサック、カザフ人、タタール人と少数の外国人が居住していた. この地のコサックはドン・コサックとは異なり大変平和的で、しかし怠け者でもあったと記されている.
1923年、–パヴロダル間に鉄道が開通した.
1936年、ソビエト連邦構成国としてカザフ・ソビエト社会主義共和国が成立.
1938年、パヴロダル州の制定とともに同州の州都となった.
1939年の人口は28,535人であった.
地図 - パヴロダル (Pavlodar Region)
地図
国 - カザフスタン
カザフスタンの国旗 |
カザフスタンは中央アジアで経済的、政治的に最も支配的な国家であり、石油・天然ガスを中心とする資源に恵まれ 、中央アジアの国内総生産(GDP)の60%を生み出している. 国土面積は272万4900平方キロメートルと世界第9位 で、世界で最も広い内陸国であり、イスラム教徒が多数派を占める国としても世界最も広大かつ最北端である. 人口は約1900万人 で、人口密度は世界でも低い国の一つであり、1平方キロメートルあたり6人以下(1平方マイルあたり15人)である.
通貨 / 言語
ISO | 通貨 | シンボル | 有効数字 |
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KZT | テンゲ (Kazakhstani tenge) | ₸ | 2 |