ベオグラード (Belgrade)
ヨーロッパ最古の都市の一つであり、考古学的な調査では、同地における人の居住は紀元前6千年紀にまで遡る. ベオグラード広域都市圏の域内はヴィンチャ文化と呼ばれる、ヨーロッパ最大の前史文明の発祥の地である. 町はギリシャ人に発見され 、ケルト人によって築かれて命名された. ローマ帝国によって都市権を与えられた. 600年代に白セルビア人による定住が始まる. ベオグラードは戦略的拠点として、町は古代より現代までの間に140回にわたって戦いの場となった. 中世には、東ローマ帝国、フランク人、第一次ブルガリア帝国、ハンガリー王国、そしてセルビア人の諸領主の支配地となった. 1521年、ベオグラードはオスマン帝国に征服され、オスマン領ヨーロッパの重要拠点として、(スメデレヴォ・サンジャク)の中心都市となった. ベオグラードはオスマン帝国とハプスブルク君主国に交互に支配され、セルビアの首都としての地位を回復するのは1841年のことであった. しかし、ベオグラード北部はその後も1918年のオーストリア=ハンガリー帝国崩壊までオーストリアの統治下に置かれ続けた. その後統一されたベオグラードは、2006年にセルビアが独立するまでの間、ユーゴスラビア王国、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国、ユーゴスラビア連邦共和国、セルビア・モンテネグロの首都であった.
ベオグラードはセルビアの中で、自治権のある独自の市政府を持つ、独立した地位を持っている. ベオグラードは17の区に分かれ、それぞれの区は独自の区議会を持つ. ベオグラードはセルビアの面積の3.6%を占め、セルビアの人口の24%が居住する. ベオグラードはセルビアの経済活動の中心であり、セルビアの文化、教育、学術の中心である.
ベオグラードは標高116.75m、ドナウ川とサヴァ川の合流地点、東経20°27'44"、北緯44°49'14" にある. 合流点にはベリコ・ラトノ島という中洲がある. ベオグラードの歴史的な中核は、両河川の右岸に位置しており、今日の地区に当たる. 19世紀以降、町は南および東に拡大し、第二次世界大戦以降にサヴァ川の左岸にノヴィ・ベオグラードが建設され、ゼムンはベオグラードに統合された. ドナウ川の対岸にある小規模な、主として住宅地であったや等もまたベオグラードに統合された. 市域の面積は360km2、都市圏の面積は3223km2に達する. 歴史を通じ、ベオグラードは西洋と東洋を繋ぐ主要な交易路の上にあった.
サヴァ川右岸にあるベオグラード中心部は丘陵地帯であり、またベオグラード域内で標高が最も高い地点はで標高303mである. 街の南には(標高511m)、(標高628m)がある. サヴァ川およびドナウ川に沿った一帯では地形は平坦であり、沖積平野やローム台地を形成している.
地図 - ベオグラード (Belgrade)
地図
国 - セルビア
セルビアの国旗 |
同国は、嘗て存在したユーゴスラビアに属していた地域の中央に位置しており、政治的にもその中心となる国家であった.
通貨 / 言語
ISO | 通貨 | シンボル | 有効数字 |
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RSD | セルビア・ディナール (Serbian dinar) | дин or din. | 2 |