モンロー郡 (Monroe County)
モンロー郡はその全体でモンロー大都市圏を構成している. またデトロイト・アナーバー・フリント広域都市圏に属するとされている. 非公式にはオハイオ州のトレド都市圏の延伸部ともされることがある. モンロー郡は1817年にミシガン準州で2つめの郡として設立された(1つめはウェイン郡). 郡名は当時のアメリカ合衆国大統領ジェームズ・モンローに因んで名付けられた.
モンロー郡が設立される以前の地域で主要な開拓地はフレンチタウンであり、レーズン川の岸に1784年には入植されていた. ポタワトミ族インディアンがフランス人開拓者に小さな土地を渡したものであり、当時その地域はヌーベルフランスの領土と主張されていた. フレンチタウンとそれよりやや北よりのサンディ・クリークの開拓地で住人は約100人を数えた. 米英戦争のときはフレンチタウンの戦いの戦場となった. この戦いはアメリカにとっては最悪の結果となり、ミシガン州では最も犠牲の大きい戦闘となっている. 戦場跡は現在レーズン川国定戦場公園の一部となっている.
モンロー郡は1817年にウェイン郡の南部が分かれて設立された. 当時は州に昇格する前のミシガン準州時代であり、ウェイン郡が唯一の郡で、デトロイト地域でも1,000人の人口があるだけだった. 人口が増えてくると、ウェイン郡の南部が分離してモンロー郡となり、フレンチタウンは「モンロー」という名前で町の区割りがなされた. この町も1817年に村として法人化され 、郡庁所在地になった. 郡名と市名は、当時の大統領ジェームズ・モンローが地域を訪れてくれることを期待して、モンローと名付けられた. 郡設立の直後の1820年国勢調査による人口は僅か336人だった. 設立された当時の領域は内陸に60マイル (97 km) 伸びており現在の大きさの2倍だったが、1826年に西半分が分離され、レンアウェイ郡が設立された.
モンロー郡の住人で最も有名なのがジョージ・アームストロング・カスター(1839年-1876年)であり、子供の時にモンローに移転し、腹違いの姉や義兄弟と共に住んだ. モンローで生まれたわけではないが、モンローの学校で学び、後にアメリカ合衆国陸軍士官学校に入学するために移転した. 南北戦争中の1864年にモンローに戻り、以前モンローに住んでいた時代に出会ったエリザベス・ベイコン(1842年-1933年)と結婚した. カスターの家族の大半はモンローに住んでいた. ヘンリー・アームストロング・リード(1858年-1876年)やボストン・カスター(1848年-1876年)などである. リトルビッグホーンの戦いで彼等が戦死した後、ヘンリーとボストンはモンロー市の歴史あるウッドランド墓地に埋葬されており、ベイコン家の者も同様である. 同じ戦闘で戦死したもののジョージ・カスターはウェスト・ポイント墓地に埋葬され、それから60年近く後に無くなったエリザベスもジョージの側に埋葬された. 1910年、当時の大統領ウィリアム・タフトとエリザベスが、カスターの騎馬像を除幕し、現在はモンロー市中心街のエルム通りとモンロー通りの角に立っている.
地図 - モンロー郡 (Monroe County)
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国 - アメリカ合衆国
アメリカ合衆国の国旗 |
アメリカ合衆国(United States of America)の頭文字を取って「U.S.A.」もしくは「USA」、合衆国(United States)の頭文字を取って「U.S.」もしくは「US」、または単にアメリカ(America)とも称される.
通貨 / 言語
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