フライング・フィッシュ・コーブ (Flying Fish Cove)
フライング・フィッシュ・コーブ(Flying Fish Cove)は、インド洋に浮かぶオーストラリア領クリスマス島の中心地. クリスマス島北東岸の入江の湾に位置し、人口は1,347人(2011年国勢調査 ). セトルメント地区(The Settlement)とも呼ばれる.
1886年イギリスのジャック・マクレアがフライング・フィッシュ号で来島し、この入江にフライング・フィッシュ・コーブと名付けた. そしてジョン・クルーニーズ=ロス一族がココス諸島で材木などの供給を集めるために、1888年6月にフライング・フィッシュ・コーブの入江の湾に供給地を設置し、集落を築いた. さらに、海洋学者のジョン・マーレー博士が豊富なリン酸塩の資源を発見した事もあって、1891年マーレーとクルーニーズ=ロスはイギリス政府から99年間のリン鉱採掘権を与えられた. そしてリン酸塩の積荷は1895年に始まり、1897年にクリスマス島リン鉱会社(Christmas Island Phosphate Company)がフライング・フィッシュ・コーブで設立された. リン酸塩採掘の労働力として、シンガポール、中国、マレーシアなどから労働者が連れて来られた.
1942年3月31日の日本軍のクリスマス島占領の時、日本軍の潜水艦がフライング・フィッシュ・コーブでリン酸塩を降ろしていたノルウェーの貨物船を魚雷で攻撃し、沈めた事がある.
1886年イギリスのジャック・マクレアがフライング・フィッシュ号で来島し、この入江にフライング・フィッシュ・コーブと名付けた. そしてジョン・クルーニーズ=ロス一族がココス諸島で材木などの供給を集めるために、1888年6月にフライング・フィッシュ・コーブの入江の湾に供給地を設置し、集落を築いた. さらに、海洋学者のジョン・マーレー博士が豊富なリン酸塩の資源を発見した事もあって、1891年マーレーとクルーニーズ=ロスはイギリス政府から99年間のリン鉱採掘権を与えられた. そしてリン酸塩の積荷は1895年に始まり、1897年にクリスマス島リン鉱会社(Christmas Island Phosphate Company)がフライング・フィッシュ・コーブで設立された. リン酸塩採掘の労働力として、シンガポール、中国、マレーシアなどから労働者が連れて来られた.
1942年3月31日の日本軍のクリスマス島占領の時、日本軍の潜水艦がフライング・フィッシュ・コーブでリン酸塩を降ろしていたノルウェーの貨物船を魚雷で攻撃し、沈めた事がある.
地図 - フライング・フィッシュ・コーブ (Flying Fish Cove)
地図
国 - クリスマス島 (オーストラリア)
クリスマス島を発見した人物は、不詳である. 17世紀はじめのイギリス、オランダの海図には記録があり、1615年2月3日にイギリス東インド会社のジョン・ミルウォードがトマス号で島を見出したのが最初の記録と考えられている. ピーター・グースが1666年に出版した地図にはモニ島として記載されている. 島名の由来は、イギリス東インド会社のウィリアム・マイノースが、1643年12月25日(クリスマス)にロイヤル・メアリ号でこの島に到着したことによるが、彼は島には上陸しなかった.
通貨 / 言語
ISO | 通貨 | シンボル | 有効数字 |
---|---|---|---|
AUD | オーストラリア・ドル (Australian dollar) | $ | 2 |