ケルマーンシャー州 (Kermanshah Province)
州都ケルマーンシャーは人口約69万、北緯34度18分東経47度4分、西部イランの緯度的にほぼ中央部に位置する. 有名なクーヘ・セフィード(山)の山腹にあり海抜1420m、サラーブ河谷にそって10kmにわたって広がる.
テヘランからの距離は陸路525km. 穀物、米、野菜、果物、脂肪種子を産する豊かな農業地帯である. 石油、砂糖精製、セメント、繊維、穀物加工などの産業もある. 空港は都市の北東にあり、空路テヘランから413kmである.
発掘により、旧石器時代以来、この地域に人が住んでいたことが明かになっている. ケルマーンシャー州には多くの遺跡がある. 特にハカーマニシュ朝(アカイメネス朝)、サーサーン朝期に栄え、支配者によって特段の配慮がはらわれた.
ケルマーンシャーは古代からのイラン都市で、伝説の王朝ピーシュダード朝のタフモレス・ディーヴバンドの建設した街だという. 本格的な建設は4世紀、サーサーン朝のバハラーム4世ともする. ホルミズド4世、ホスロー1世治下、ケルマーンシャーは副都としての繁栄は頂点に達した.
アラブの侵攻では大きな被害を受けた. のちにサファヴィー朝下でも繁栄し、アフガーン族の侵入にともなう首都エスファハーンの混乱、衰退と同時期に、ケルマーンシャーはオスマン朝の侵攻を受け、破壊された.
1978年、イラン革命が成功. 州内のクルド人は自治権獲得を目指して革命勢力を指示してきたが、新政府はクルド人への弾圧を始めた. 1979年8月、クルド人は州内の都市パベなどを占拠する反乱を起こしたが、同月中にイラン政府軍や革命防衛隊により鎮圧された.
イラン・イラク戦争ではケルマーンシャー州は激戦地となり、多くの都市、村が被害を受け、サルポレ・ザハーブやガスレ・シーリーンは実際に破壊された.
地図 - ケルマーンシャー州 (Kermanshah Province)
地図
国 - イラン
イランの国旗 |
通貨 / 言語
ISO | 通貨 | シンボル | 有効数字 |
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IRR | イラン・リヤル (Iranian rial) | ï·¼ | 2 |