エリトリア (State of Eritrea)
エリトリアの国旗 |
1960年から1991年までの30年間エチオピアからの独立戦争を経て、エリトリア解放戦線から一部左派が1970年に分派結成したエリトリア人民解放戦線(EPLF、1994年以降に民主正義人民戦線に改組)を率いたイサイアス・アフェウェルキが大統領に就任し、マルクス主義・共産主義的政策に基づく政治を行っている.
亡命ライターによると2001年に政府要人の半分が逮捕されたが、その被逮捕者は2017年時点でも行方不明である. 2021年時点でもマルクス主義の影響を受けた、共産主義・社会主義国の一つである.
大学(唯一の大学であった国立アスマラ大学は閉鎖後に軍傘下教育機関らへ改組. 軍管轄のカレッジらは設立)・野党、独立した報道機関が存在しない一党独裁国家であり、一般国民は18歳になると政府支配下の農民か兵士を含む低賃金又は無賃労働の奴隷的公務員となることが55歳(2019年時点平均寿命66.32歳 )まで義務付けられている. これを嫌い、国外に出ようとする人も絶えない. 人口の約80%が生産性の低い農業と牧畜に従事しているが、耕地はエリトリアの面積の2%に過ぎず、食料の約70%を輸入や援助に頼っている.
ただし、2019年時点で外国人観光客にとっては、移動の自由制限がされる北朝鮮より監視が無いために自由で、逆に他のアフリカ諸国より治安は良く、ホテルでならば電波も(動画視聴不可能なレベルの非常に低速度であるが)一応繋がる. 2018年に国境を巡る対立が20年も続いていた隣国エチオピアとの間で航空便の行き来を含む外交関係再開の合意をした.
2022年時点でアフリカの中では2番目に若い独立国であり 、東アフリカと北アフリカ諸国の一つに位置づけられる. 西にスーダン、南にエチオピア、南東部にジブチと国境を接する. 北は紅海に面し、1350km以上にも及ぶ長い海岸線を持ち、領海内にはダフラク諸島など約350の小島が点在する. 対岸側にはサウジアラビアとイエメンがある.
元々はエチオピア帝国の領土だった海岸部をイタリア王国が植民地政策によって1890年に分離させた 地域であり、エリトリア独立戦争を経て1991年5月29日に独立を宣言. 1993年4月に実施された国際連合監視下の住民投票に基づき、同年5月24日に独立を達成した. 1998年5月から両国はエチオピア・エリトリア国境紛争を戦ったが 、2018年7月8日に関係正常化の合意文書に調印した. 2020年~2021年には、エチオピア北部ティグレ州で起きたティグレ人民解放戦線(TPLF)の反政府蜂起に際して、エチオピア政府側で派兵した.
内政面では独立以降、中華人民共和国に留学して毛沢東思想や軍事知識を学んだイサイアス・アフェウェルキ大統領が実質的に率いる民主正義人民戦線の一党独裁制が続いている. 「アフリカのシンガポール」というスローガンを掲げて、同国を手本にした国作りを進めている が、国連や国際NGOなどから深刻な人権侵害・圧政が報告されており「アフリカの北朝鮮」 と批判・揶揄されることが多い. 国境なき記者団による世界報道自由度ランキングではほぼ毎回北朝鮮と最下位を争い 、フリーダム・ハウスの報道の自由度調査(en)においてもワースト上位に位置する. 周辺諸国との紛争や兵役、抑圧的な政治体制により大量の国民が国外に脱出して国際的な難民問題になっている.
通貨 / 言語
ISO | 通貨 | シンボル | 有効数字 |
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ERN | ナクファ (Eritrean nakfa) | Nfk | 2 |