語源としては、テュルク系のオグズ族の一支族ウーディロール(Iğdıroğlu)が語源であるとされている。彼らはアナトリアの町や村に広がって分布しており、マラティヤやその他の県にもウードゥルという同名の街が見られる。
古代史研究ではこの地域への人類の定住はおおよそ紀元前4000年にさかのぼれるという。紀元前800年ごろにはウラルトゥ王国の一部であったとされている。ウラルトゥ王国がアルメニア王国の支配下に置かれてもウラルトゥ王国の彫刻は破壊されず、今も残っている。
4世紀にはセレウコス朝、サーサーン朝の勢力が顕著になり、646年にはイスラムのアラブ勢力に統治される。1064年からテュルクとモンゴル族が400年にわたってこの地域で戦闘を行った。
1534年から1746年までのおおよそ2世紀もオスマン朝とペルシア帝国の間で戦争が起こり戦火が絶えることはなかった。現在の県の領域の多くはペルシアに割譲され、ペルシャの自治領に統治された。
第二次ロシア・ペルシア戦争後に締結されたトルコマーンチャーイ条約により、県北部区域はロシアの施政下に落ちた。ロシアの施政下では当初はとされたが、その後になる。南半分はオスマン朝が保持したが、露土戦争でロシアに割譲された。