ツワナ語

ツワナ語
ツワナ語(ツワナご、Setswana)は、ニジェール・コンゴ語族に属し、南部アフリカのツワナ族の間で使われる言語. 話者はボツワナ共和国の他、南アフリカ共和国、ジンバブエ、ナミビアにもいて、およそ500万人である. ほとんどのアフリカ諸語と同様もともと文字を持たず、現代において表記するときはラテン文字で書かれる. このときの特徴としてはドイツ語のようにchを[h]と読む、thを[θ]ではなく硬音の[t]と読むなどが挙げられる. また名詞クラスが多彩なのは南アフリカ諸語に共通する特徴だが、ツワナ語でも9種に分けられている.

言語名SetswanaのSeは言語を表す(スワヒリ語のKiと同様).

ニジェール・コンゴ語族バントゥー語群に属し、ソト・ツワナ語群のZone Sであり、北部ソト語、南部ソト語、クガラガディ語、ロジ語と近縁関係にある.

ツワナ語はボツワナの公用語であり、リングア・フランカである. ツワナ語話者の数的優位性は南アフリカ北部で見られ、都市部での崩れたツワナ語はプレトリア・ツワナ語として知られる. ハウテン州、北ケープ州、北西州ではツワナ語話者が州内人口で最多を占める. 1994年までは、アパルトヘイト政策に基づくバントゥースタンの一つであるボプタツワナであった. 北西州のツワナ語はツワナ文化の見られる民族、例えばBakgatla, Barolong, Bakwena, Batlhaping, Bahurutshe, Bafokengなどでは民族ごとの方言差がある. ただし、文章語にはこの方言差は現れない. ツワナ語話者の大半は南アフリカとボツワナに居住しているが、ジンバブエとナミビアにも少数の話者が居住している. その人口は10000人ほどと推定される.

最初にツワナ語を描写したヨーロッパ人は、ドイツ人旅行家のマルティン・ハインリヒ・リヒテンシュタインである. 彼は1806年にツワナ族のうちBatlhaping族と生活を共にしたが、その著作が出版されたのは1930年であった. 彼は、ツワナ語をコサ語の方言と誤解しており、彼の使用したBeetjuana語の名称は北部ソト語・南部ソト語を包括したものである.

ツワナ語に関する主要な著作の中で最初のものは、イギリス人宣教師のロバート・モファットによるものである. 彼もまたBatlhaping族と生活を共にし、『Bechuana Spelling Book』『A Bechuana Catechism』の両著にまとめて1826年に出版した. その後数年間、彼は聖書のツワナ語訳に取り組み、1857年に完成した.

ツワナ語の最初の文法書は、1833年に出版された、宣教師ジェームズ・アルフベルの著作である. しかしながら、彼はコサ語の文法を参考にしていた. ツワナ語とコサ語を別個の言語として取り扱った文法書の中で最初のものは、フランス人宣教師によるもので、1841年に出版された. この著書は、しかしながら、いまだツワナ語とソト語を別個のものとして扱っていなかった. 彼は後に考えを改め、1882年以降の出版に関しては、ツワナ語とソト語が別言語である旨付記するようにした.

南アフリカの言語学者ソロモン・プラーチェは、ツワナ語に関して、ツワナ語を用いて広汎にわたって記述した最初の人物である.

  • ボツワナ
    ボツワナ共和国(ボツワナきょうわこく、)、通称ボツワナは、南部アフリカにある共和制国家. イギリス連邦加盟国である. 南を南アフリカ共和国、西と北をナミビア、東をジンバブエ、北をザンビアに囲まれた内陸国である. なおザンビアとの国境は約150mしかなく、世界で一番短い国境線である.

    首都は南アフリカ共和国との国境付近に位置するハボローネで、南アフリカ共和国を構成する一民族でもあるツワナ系の人々が多く住む.
  • 南アフリカ共和国
    南アフリカ共和国(みなみアフリカきょうわこく、, Republiek van Suid-Afrika)、通称南アフリカは、アフリカ大陸最南部に位置する共和制国家.

    北東でエスワティニ、モザンビーク、北でジンバブエ、ボツワナ、西でナミビアと国境を接し、内陸国レソトを四方から囲んでいる. 北を除く三方は海で、アフリカ大陸最南端アガラス岬を境に東がインド洋、西が大西洋で、南インド洋のプリンス・エドワード諸島を領有する.