アスタナ (Astana)
人口は134万人で、アルマトイに次ぐ大都市である. 1998年のカザフスタン政府主催の国際コンペで1位に選ばれた日本の建築家・黒川紀章の都市計画案に基づき開発が続けられている.
1824年、オムスクから来たコサック達がイシム川上流に要塞を造り、それが元となってアクモリンスク (Акмолинск) という都市が出来た. アクモリンスクは鉄道の要衝として、ロシア内戦時まで発展を続けた. ヨシフ・スターリンの時代には、市の周辺には「人民の敵」とされた人々の妻や家族を収容する悪名高いグラグが数多く作られた. 1961年、ツェリノグラード (Целиноград) と改名され、1950年代にニキータ・フルシチョフが主導したカザフスタンを大穀倉地帯に変えるの中心地となる. ロシア各地から入植が行われ、その後の民族間対立の土壌が醸成されていく. 特に、ナチス・ドイツのロシア侵攻でドイツ系の人々はこの地に強制的に連れて来られた.
1991年、カザフスタンが独立を果たすと、「聖地」を意味するアクモラ (Акмола) と再度改名される. 1994年、アクモラを新首都とすることが決定され、1997年に遷都が行われた. 翌年の1998年には名称はカザフ語で首都を意味するアスタナと改名された. アスタナ遷都の理由は、アルマトイが活断層があり地震多発地帯であることや地形的に更なる発展に限界があったことなどが挙げられる. またアスタナが位置するカザフスタン北部にはカザフ人よりもロシア人が多く、遷都することによって北部にもカザフ人の割合を増やし、将来的な分離独立問題を抑え込む意味もあったとされる. しかし、アスタナがカザフスタンの主要軸から外れていて、冬季の気候は酷寒であることや、新首都建設に莫大な費用がかかっているなどの問題点もある.
2008年、カザフスタン議会はアスタナの名称をヌルスルタン・ナザルバエフ大統領(当時)のファーストネームにちなんだ「ヌルスルタン」に改名することを提議したが、ナザルバエフが辞退した. なお、この名称変更は2019年にナザルバエフが大統領を辞任した際に再度提案され、カザフスタン議会が全会一致で承認した. しかし、2022年1月にナザルバエフが反政府デモによって失脚して政界から退いたこともあり、カシムジョマルト・トカエフ大統領は同年9月に下院議員グループからの提案に賛同するという形で、名称を再びアスタナに戻す方針を示した. 9月15日に市議会はアスタナへの改称を全会一致で承認し 、18日にトカエフ大統領が法案に署名したことでアスタナが復活した.
2014年、アスタナでユーラシア経済連合の創設条約の調印が行われた. 前身のユーラシア経済共同体を始動した協定もこの地で調印された.
地図 - アスタナ (Astana)
国 - カザフスタン
カザフスタンの国旗 |
カザフスタンは中央アジアで経済的、政治的に最も支配的な国家であり、石油・天然ガスを中心とする資源に恵まれ 、中央アジアの国内総生産(GDP)の60%を生み出している. 国土面積は272万4900平方キロメートルと世界第9位 で、世界で最も広い内陸国であり、イスラム教徒が多数派を占める国としても世界最も広大かつ最北端である. 人口は約1900万人 で、人口密度は世界でも低い国の一つであり、1平方キロメートルあたり6人以下(1平方マイルあたり15人)である.
通貨 / 言語
ISO | 通貨 | シンボル | 有効数字 |
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KZT | テンゲ (Kazakhstani tenge) | ₸ | 2 |