カラカル (Municipiul Caracal)
地名の由来には「黒い砦」という意味のクマン語(karaは「黒い」、kalは「砦」の意. 後者はアラビア語ではqal'at、トルコ語ではkaleと呼ばれる)からという説、ヤマネコのカラカル(トルコ語で「黒い耳」を意味するkarakulakが語源とされる)からという説、またこの地域に要塞を築いたとされるローマ帝国のカラカラにちなむという説などがある.
19世紀終わりから20世紀前半にかけて急激な発展を経験し、国内随一の穀倉地帯となった. ロマナツィ県の県都も置かれたが、第二次世界大戦と戦後の共産党体制が変革をもたらした. 共産党体制はロマナツィ県を廃止し、工業化計画を開始、カラカルは繊維産業により安定した経済発展を遂げた. しかし、1989年のルーマニア革命でニコラエ・チャウシェスク体制が崩壊すると、急速な市場経済化で多くの工場が閉鎖に追い込まれた.