地図 - バーミヤーン州 (Wilāyat-e Bāmyān)

バーミヤーン州 (Wilāyat-e Bāmyān)
バーミヤーン州(バーミヤーンしゅう、باميان Bāmiyān)は、アフガニスタンの34の州のうちの一州. 発音の転訛により、「バーミアン」、「バーミアーン」、「バーミヤン」とも表記される. アフガニスタンのほぼ中央部に位置する. 一帯はヒンドゥークシュ山脈の山中に位置する渓谷地帯で、東西に細長い盆地をなし、バーミヤーン渓谷と呼ばれる.

州の人口は387,300人(2006年の公式推計). 州都はバーミヤーン. バーミヤーンはアフガニスタンので最大の都市で、同地域に居住しているハザーラ系民族の文化の中心地である.

バーミヤーン渓谷のバーミヤーン市郊外には断崖に彫られた大仏で有名な仏教の石窟寺院遺跡が存在することでよく知られ、バーミヤーンと単に言った場合でも特にバーミヤーン遺跡を指すことが非常に多い. バーミヤーン遺跡は「バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群」として、2003年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された.

また、美しい自然の景観でも知られ、同州西部にあるバンディ・アミール湖は多くの観光客を惹き付けている.

バーミヤーン市は古代から存続する都市で、1世紀からは郊外の断崖に北のバルフを都とするバクトリアによって仏教寺院が開削され始めた. バーミヤーン渓谷には通算で1000を超える石窟が掘られ、すぐれた仏教絵画が壁画として描かれた.

バーミヤーンの仏教遺跡の中では、4世紀から5世紀頃に彫られた高さ55mと38mの2体の大仏が有名で壁画が描かれた. バーミヤーンの仏教文化は繁栄をきわめ、200年後の630年に唐の仏僧玄奘がこの地を訪れたときにも依然として大仏は美しく装飾されて金色に光り輝き、僧院には数千人の僧が居住していたという.

その後、ムスリム(イスラム教徒)勢力の侵入がこの地にも及ぶようになり、次第に仏教徒の共同体は消滅していった. バーミヤーンのイスラム化が完了したのは9世紀頃だと言われている.

その後もバーミヤーンはヒンドゥークシュ山中の中継都市として政治的・経済的重要性を失わず繁栄し続けたが、13世紀にホラズム・シャー朝を壊滅させて中央アジアを席巻したモンゴル帝国の軍隊が、現在のアフガニスタン南部にあたるガズナにいたジャラールッディーン・メングベルディー率いるホラズム・シャーの残党を追ってヒンドゥークシュに攻め入ったとき、チンギス・ハーン自ら率いるモンゴル軍に攻略された. この戦闘中、チンギスの次男チャガタイの子、モエトゥケンがバーミヤーン側の放った矢にあたって戦死したため、愛孫の死に激怒したチンギス・ハーンによって全ての住民が殺害され、町は徹底的に破壊されたと言われる. これによって千年以上繁栄を続けてきたバーミヤーン市は全くの廃墟となってその後数百年にわたって人の住むことがなく、「呪われた町」と呼ばれる死の町であったとされる.

やがてハザーラ人が住み着くようになってバーミヤーンの町は再建され、18世紀にはドゥッラーニー朝(アフガニスタンの前身)の一部となった. アフガニスタンはバーミヤーン渓谷に、バーミヤーン州を置いた. アフガニスタン内戦が始まるとハザーラ人がパシュトゥーン人勢力と激しく衝突するに至り、1990年代後半には北部同盟に属するハザーラ人勢力とパシュトゥーン人のターリバーンとの激しい戦闘の最前線となった.

1998年、ターリバーンの攻勢の前にバーミヤーンは陥落し、2001年3月にはターリバーンはバーミヤーン遺跡の2体の大仏を破壊して国際的な非難を浴びた. しかし、同年の対テロ戦争をきっかけにしたアメリカのアフガニスタン侵攻を受けて11月11日にハザーラ人勢力が奪還した. 
地図 - バーミヤーン州 (Wilāyat-e Bāmyān)
国 - アフガニスタン
アフガニスタンの国旗
アフガニスタン・イスラム首長国(アフガニスタン・イスラムしゅちょうこく、、Islamic Emirate of Afghanistan)、通称アフガニスタン(、、Afghanistan)は、中央アジアと南アジアの交差点に位置する山岳地帯の内陸国である. 現在はターリバーンによる暫定政権が築かれている. 東と南にパキスタン、西にイラン、北にトルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、北東ではワハン回廊で中国と国境を接している. 多民族国家で、周辺国と民族やイスラム教宗派でつながりが深いパシュトゥン人、ウズベク人、タジク人、ハザラ人などが暮らす. 中東の東端と位置付けられることもある. 首都は人口最大の都市のカブール. 面積は65万2000平方キロメートルで、北部と南西部に平野部がある山岳国となっている.

アフガニスタンは多様かつ波乱な歴史を紡いで来た地域に建つ国家である. 少なくとも5万年前には現在のアフガニスタンには人間が住んでいた. 9000年前に定住生活が始まり、紀元前3千年紀のインダス文明(ショルトゥガイ遺跡)、オクサス文明(ダシュリジ遺跡)、ヘルマンド文明(ムンディガク遺跡)へと徐々に進化していった. インド・アーリア人がバクトリア・マルギアナ地方を経てガンダーラに移住し、ゾロアスター教の古代宗教書『アヴェスター』に描かれている文化と密接な関係がある 鉄器時代のヤズ1世文化(紀元前1500 - 1100年頃)が興った. 「アリアナ」と呼ばれていたこの地域は、紀元前6世紀にアケメネス朝ペルシャ人の手に落ち、その東側のインダス川までの地域を征服した. アレキサンダー大王は前4世紀にこの地域に侵入し、カブール渓谷での戦いの前にバクトリアでロクサネと結婚したが、アスパシオイ族やアサカン族の抵抗に遭ったという. グレコ・バクトリア王国はヘレニズム世界の東端となった. マウリヤ朝インド人による征服の後、この地域では何世紀にもわたって仏教とヒンドゥー教が栄えた. カピシとプルシャプラの双子の都を支配したクシャーナ朝のカニシカ1世は、大乗仏教が中国や中央アジアに広まる上で重要な役割を果たした. また、この地域からは、キダール、エフタル、アルコン、ネザーク、ズンビール、トルキ・シャヒスなど、様々な仏教王朝が生まれた.
通貨 / 言語  
ISO 通貨 シンボル 有効数字
AFN アフガニ (Afghan afghani) Ø‹ 2
ISO 言語
UZ ウズベク語 (Uzbek language)
TK トルクメン語 (Turkmen language)
PS パシュトー語 (Pashto language)
FA ペルシア語 (Persian language)
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行政区画
国, ステート, 地域,...