プレー県 (Changwat Phrae)
プレー県の歴史はモン族のハリプンチャイ王国まで遡り、後のラーンナータイ王国時代の1443年にさかのぼるとされる. その後、最初にプレーの名前が登場する歴史的碑文がラームカムヘーン大王碑文で、同じ頃には都市国家として成立していたと考えられている(プレー王国). この王国はティローカラート王がナーンを侵攻するに際し、併合された.
その後ラーンナーの覇権下におかれた、後にビルマに併合されたが、1767年トンブリー王タークシンの元、プレーの国主、パヤー・マンチャイは、チエンマイでビルマに反旗を翻したチャーバーンに合流しビルマと戦った. その後もプレーは、シャムの中央政府に帰順し、19世紀後半の領土拡大政策である、チエントゥン(景洪)戦役でもプレーは一翼担うことになる.
1891年、統治制度が変わり、プレーは県となった.