ロンドン自然史博物館 (Natural History Museum)
ロンドン自然史博物館(ロンドンしぜんしはくぶつかん、英: Natural History Museum)は、イギリスロンドンのにある博物館. 大英自然史博物館、英国自然史博物館などとも呼ばれ、自然史系博物館としてはイギリス最大であるのみならず、世界でもトップクラスである.
大英博物館の一部として始まり、比較的最近まで正式名称に大英博物館(英: British Museum)と冠していたため、自然科学分野で単に大英博物館といった場合、ブルームスベリーにある本来の大英博物館ではなくこちらの博物館のことを指していることもあるので注意が必要.
最寄り駅はロンドン地下鉄のサウス・ケンジントン駅で、駅からはエキシビション・ロードの入口のすぐ近くまで地下道が延びている. 全館入場料無料.
書籍・コインなどに加えて動物・植物・鉱物のコレクションも含まれていた. 既に大英博物館の成立時に自然史博物館としてのスタートは切られていたのである. (詳細は大英博物館の項を参照のこと)
しかしながら、およそ一世紀も経つと、モンタギュー・ハウスに収蔵するには標本・資料類が膨大になってきた. そこで、大英博物館の自然史関係標本のために新しく別館を建てるべきであると強固に主張したのが、1856年から大英博物館の自然史部門長を務めていたリチャード・オーウェンである. オーウェンの主張は程なく受け入れられ1860年に新館の建築と自然史関係標本の移動が決定し、サウスケンジントンで1862年に開催されたロンドン万国博覧会跡地が新しい博物館のために購入された.
1881年4月18日、復活祭の翌日の月曜日、日本語では大英自然史博物館などと訳されるBritish Museum (Natural History)が開館した. しかし収蔵標本は膨大だったため、旧博物館から新館への物品移動作業自体は1883年まで続いた. 移動が完了した後の1884年、悲願を成就したオーウェンはその職を辞している.
旧英名のBritish Museum (Natural History)が示すように、元来ここは公式には大英博物館の一部門であり、科学文献などで略記される場合にはB.M.(N.H.)などのように記述された. 標本番号も、「BMNH 1234」という形式になっている場合がある. 1963年、British Museum Act 1963によりこの博物館は独自の評議委員会を持つ独立した博物館となり、大英博物館の分館扱いではなくなった. しかしながら、この博物館の正式名称がBritish Museum (Natural History)から、元は通称だったThe Natural History Museumに公式に変わったのは、the Museums and Galleries Act of 1992 が成立してからのことである.
1937年、ウォルター・ロスチャイルドがハートフォードシャーのトリングに作った動物学博物館が遺言により大英博物館に遺贈され、この博物館の一部として組み込まれた. このウォルター・ロスチャイルド動物学博物館は、自然史博物館が独立後も引き続きロンドン自然史博物館の一部として機能している.
また、1985年にはこの建物の東側に隣接して建てられていた英国地質調査所のが併合された. 地質博物館の成立は、英国地質調査所の設立にも関わったヘンリー・デ・ラ・ビーチが1835年に政府によってデヴォン州の地質調査を命じられた際に、調査の過程で得られるであろう多量の岩石・鉱物を収容する場所をそのまま新しく博物館としてしまえば研究にも役立てられる上に費用的にも安くつく、と大蔵大臣に進言した事に始まる. 政府はその提案を受け入れ、1841年にウィンターホールから少し離れたに英国地質調査所の一部門として地質博物館が設立された. その後数度の引越を経て、1935年以降併合までこの自然史博物館の東隣に居を構えていた.
地質博物館は、1974年から1988年にかけて活火山モデルや地震装置、世界初のコンピュータ使用展示(Treasures of the Earth)の所蔵などで世界的に有名になっていた. 自然史博物館への併合後、この元地質博物館のギャラリーは完全に作り直され、マルチメディア展示として1998年に再公開された. ただし自然史博物館が元々持っていた鉱物学関係の展示は、ウォーターハウス館の19世紀の展示手法の例として、マルチメディア展示に組み込まれることなくそのままに残された.
大英博物館の一部として始まり、比較的最近まで正式名称に大英博物館(英: British Museum)と冠していたため、自然科学分野で単に大英博物館といった場合、ブルームスベリーにある本来の大英博物館ではなくこちらの博物館のことを指していることもあるので注意が必要.
最寄り駅はロンドン地下鉄のサウス・ケンジントン駅で、駅からはエキシビション・ロードの入口のすぐ近くまで地下道が延びている. 全館入場料無料.
書籍・コインなどに加えて動物・植物・鉱物のコレクションも含まれていた. 既に大英博物館の成立時に自然史博物館としてのスタートは切られていたのである. (詳細は大英博物館の項を参照のこと)
しかしながら、およそ一世紀も経つと、モンタギュー・ハウスに収蔵するには標本・資料類が膨大になってきた. そこで、大英博物館の自然史関係標本のために新しく別館を建てるべきであると強固に主張したのが、1856年から大英博物館の自然史部門長を務めていたリチャード・オーウェンである. オーウェンの主張は程なく受け入れられ1860年に新館の建築と自然史関係標本の移動が決定し、サウスケンジントンで1862年に開催されたロンドン万国博覧会跡地が新しい博物館のために購入された.
1881年4月18日、復活祭の翌日の月曜日、日本語では大英自然史博物館などと訳されるBritish Museum (Natural History)が開館した. しかし収蔵標本は膨大だったため、旧博物館から新館への物品移動作業自体は1883年まで続いた. 移動が完了した後の1884年、悲願を成就したオーウェンはその職を辞している.
旧英名のBritish Museum (Natural History)が示すように、元来ここは公式には大英博物館の一部門であり、科学文献などで略記される場合にはB.M.(N.H.)などのように記述された. 標本番号も、「BMNH 1234」という形式になっている場合がある. 1963年、British Museum Act 1963によりこの博物館は独自の評議委員会を持つ独立した博物館となり、大英博物館の分館扱いではなくなった. しかしながら、この博物館の正式名称がBritish Museum (Natural History)から、元は通称だったThe Natural History Museumに公式に変わったのは、the Museums and Galleries Act of 1992 が成立してからのことである.
1937年、ウォルター・ロスチャイルドがハートフォードシャーのトリングに作った動物学博物館が遺言により大英博物館に遺贈され、この博物館の一部として組み込まれた. このウォルター・ロスチャイルド動物学博物館は、自然史博物館が独立後も引き続きロンドン自然史博物館の一部として機能している.
また、1985年にはこの建物の東側に隣接して建てられていた英国地質調査所のが併合された. 地質博物館の成立は、英国地質調査所の設立にも関わったヘンリー・デ・ラ・ビーチが1835年に政府によってデヴォン州の地質調査を命じられた際に、調査の過程で得られるであろう多量の岩石・鉱物を収容する場所をそのまま新しく博物館としてしまえば研究にも役立てられる上に費用的にも安くつく、と大蔵大臣に進言した事に始まる. 政府はその提案を受け入れ、1841年にウィンターホールから少し離れたに英国地質調査所の一部門として地質博物館が設立された. その後数度の引越を経て、1935年以降併合までこの自然史博物館の東隣に居を構えていた.
地質博物館は、1974年から1988年にかけて活火山モデルや地震装置、世界初のコンピュータ使用展示(Treasures of the Earth)の所蔵などで世界的に有名になっていた. 自然史博物館への併合後、この元地質博物館のギャラリーは完全に作り直され、マルチメディア展示として1998年に再公開された. ただし自然史博物館が元々持っていた鉱物学関係の展示は、ウォーターハウス館の19世紀の展示手法の例として、マルチメディア展示に組み込まれることなくそのままに残された.
地図 - ロンドン自然史博物館 (Natural History Museum)
地図
国 - イギリス
イギリスの国旗 |
イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドという歴史的経緯に基づく4つのカントリー(「国」)が、同君連合型の単一主権国家を形成している. また、2020年1月31日まで欧州連合(略称:EU)に属していたが離脱した (ブレグジットを参照). イギリスは国際連合安全保障理事会常任理事国であり、G7・G20に参加する先進国である. また、経済協力開発機構、北大西洋条約機構、欧州評議会の原加盟国である.
通貨 / 言語
ISO | 通貨 | シンボル | 有効数字 |
---|---|---|---|
GBP | スターリング・ポンド (Pound sterling) | £ | 2 |