台北松山空港 (Taipei Songshan Airport)
台北松山空港(タイベイソンシャンくうこう、臺北松山機場、通称:松山機場、Taipei Songshan Airport)は、台湾の首都・台北市の松山区にある空港. また、台北国際空港(臺北國際航空站、英語では )とも呼ばれている.
台湾空軍松山空軍基地も併設されており、軍民共用空港となっている. なお、台湾桃園国際空港との間で、直行バスが多く運行されている.
日本統治時代の1936年、台湾総督府によって民用を目的とした台湾初の大規模公共飛行場として建設され、同年3月に台北飛行場(たいほくひこうじょう、旧字体: 臺北飛行場)、通称・松山飛行場(しょうざんひこうじょう)の名称で開港した. 日本航空輸送が那覇飛行場を経由する内地との定期便を開設し、旅客輸送と郵便輸送を行った.
しかしながら、開港直後に日中戦争(支那事変)が勃発したため、日本海軍航空部隊が渡洋爆撃の基地として使用することになり、1938年2月には中国大陸からの反抗作戦として、国民革命軍(空軍)とソ連空軍志願隊の攻撃を受けている(松山空襲参照、これは外地も含む広義の史上初の日本本土空襲であった). また、太平洋戦争では日本陸軍航空部隊の飛行部隊も駐屯している. 1944年末以降からはアメリカ軍による攻撃の標的となり、台北の街ともども被害を被った.
1945年、日本の敗戦による台湾統治終了とともに国民政府(中国国民党)の管轄下となり、台湾の国際・国内航空路線の中心的な空港となった. のちには日本航空とチャイナエアラインによる羽田空港、伊丹空港、福岡空港などを結ぶ路線が設定されている.
1979年に国際空港として中正国際空港(現・台湾桃園国際空港)が開港されてからは、国内線専用となった.
2008年、三通が認められ、中華人民共和国大陸部との間に定期チャーター便も運航されるようになり、2009年には定期便が就航した. また、日本との間でも、羽田空港の新滑走路完成と再国際線化に合わせて定期便が再開された. 同年末に第1ターミナルが台北市政府の指定歴史建築に指定された.
元台北市長馬英九や宋楚瑜親民党主席など一部の政治家は、三通政策の一環として中国大陸との直行便の乗り入れを提案していたが、2008年7月4日より両地域を結ぶ定期チャーター便を、週末限定で運航を開始した. 12月には三通の実現により、中国大陸各地へ定期チャーター便が就航した.
市街地にあるため騒音、安全性に問題があり、台湾高速鉄道の開通による国内線利用者の減少、桃園機場捷運の開通による空港アクセス改善などから、台湾桃園国際空港への移転統合が検討されている.
* 1936年 - 台湾総督府により建設・開港. 内地との間に定期便が運航されていた.
台湾空軍松山空軍基地も併設されており、軍民共用空港となっている. なお、台湾桃園国際空港との間で、直行バスが多く運行されている.
日本統治時代の1936年、台湾総督府によって民用を目的とした台湾初の大規模公共飛行場として建設され、同年3月に台北飛行場(たいほくひこうじょう、旧字体: 臺北飛行場)、通称・松山飛行場(しょうざんひこうじょう)の名称で開港した. 日本航空輸送が那覇飛行場を経由する内地との定期便を開設し、旅客輸送と郵便輸送を行った.
しかしながら、開港直後に日中戦争(支那事変)が勃発したため、日本海軍航空部隊が渡洋爆撃の基地として使用することになり、1938年2月には中国大陸からの反抗作戦として、国民革命軍(空軍)とソ連空軍志願隊の攻撃を受けている(松山空襲参照、これは外地も含む広義の史上初の日本本土空襲であった). また、太平洋戦争では日本陸軍航空部隊の飛行部隊も駐屯している. 1944年末以降からはアメリカ軍による攻撃の標的となり、台北の街ともども被害を被った.
1945年、日本の敗戦による台湾統治終了とともに国民政府(中国国民党)の管轄下となり、台湾の国際・国内航空路線の中心的な空港となった. のちには日本航空とチャイナエアラインによる羽田空港、伊丹空港、福岡空港などを結ぶ路線が設定されている.
1979年に国際空港として中正国際空港(現・台湾桃園国際空港)が開港されてからは、国内線専用となった.
2008年、三通が認められ、中華人民共和国大陸部との間に定期チャーター便も運航されるようになり、2009年には定期便が就航した. また、日本との間でも、羽田空港の新滑走路完成と再国際線化に合わせて定期便が再開された. 同年末に第1ターミナルが台北市政府の指定歴史建築に指定された.
元台北市長馬英九や宋楚瑜親民党主席など一部の政治家は、三通政策の一環として中国大陸との直行便の乗り入れを提案していたが、2008年7月4日より両地域を結ぶ定期チャーター便を、週末限定で運航を開始した. 12月には三通の実現により、中国大陸各地へ定期チャーター便が就航した.
市街地にあるため騒音、安全性に問題があり、台湾高速鉄道の開通による国内線利用者の減少、桃園機場捷運の開通による空港アクセス改善などから、台湾桃園国際空港への移転統合が検討されている.
* 1936年 - 台湾総督府により建設・開港. 内地との間に定期便が運航されていた.
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地図 - 台北松山空港 (Taipei Songshan Airport)
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国 - 中華民国
中華民国の国旗 |
アジアで2番目の共和国 として1912年に大陸地区で成立したが、国共内戦で中国共産党に敗れて大陸地区から放逐され、1950年 以降は台湾省の全域 と福建省の極一部の島嶼(台湾地区)、大陸時代には海南特別行政区に属していた東沙諸島と南沙諸島の太平島・中洲島 を実効支配する海洋国家となった. 台湾地区は、日本やフィリピン、中華人民共和国と領海を接する.