地図 - セント・ポールズ・ベイ (Saint Paul’s Bay)

セント・ポールズ・ベイ (Saint Paul’s Bay)
セント・ポールズ・ベイ (San Pawl il-Baħar、Baia di San Paolo)はマルタ北部地域の町で、首都バレッタの北西16kmにある. 北部地域かつ同国最大の自治体であり、北部地域委員会の所在地である.

街の名前は聖パウロの難破船に由来しており、カイサリアからローマへの航海中、セント・ポールズ・ベイ近くのセント・ポールズ島における使徒言行録にも記録されている. この出来事が島のキリスト教化の礎となった.

2018年の人口は23,112人であるが、この人口は6月から9月にかけての観光客を合わせると約60,000人に達する.

紀元前4000年頃に遡る考古学的遺跡が数多く残っている. その中には、ブジバとシェムシハの巨石神殿も含まれる. さらにカートのわだちが発見された一方で、プニックの墓やその他の青銅器時代の遺跡も発見されている. ローマ時代、セント・ポールズ・ベイは重要な港として機能していた. その証に ローマ時代の道路、浴場、蜂の巣箱が見つかったほか、ローマ時代のアンカーも海底で見つかった.

中世後期までセント・ポールズ・ベイは度重なる海賊による襲撃のため放棄されてしまった. 地元の民兵はこの地域でいくつかの監視部隊を維持していた. これらの1つであるタタビブファームハウスは、現在も存続しており、セントポールズベイで最も古い建物と考えられている. 1530年に聖ヨハネ騎士団が到着した際に、教会の建物についても記されていた.

聖ヨハネ騎士団の統治中に、この地域にいくつかの要塞が建てられた. これらのうち最初に建てられたのが1610年に建てられたウィグナコートタワーで、マルタに現存する最古の監視塔である. カウラタワーは1638年にグランド・マスター・ラスカリスによって建設された. 1715年、台場がこれら2つの塔の周りに建てられた一方、別の2つの台場と要塞がセント・ポールズ・ベイの海岸線に建てられた. 20世紀にそのうち2つが取り壊されたため、これらの中で今日も残っているのは1つだけである.

湾は1798年6月のフランスのマルタ侵攻時の上陸場所の1つだった. マルタ人によるフランス人への反乱後は、 グランドハーバーとマルザムシェットがフランスの支配下にあったため、セント・ポールズ・ベイはマルタの主要な港となった.

19世紀には、セント・ポールズ・ベイに別荘が建てられるようになった. これらは第二次世界大戦中、イギリス軍によって徴用され、湾は休憩所となった. 1943年にイタリアがイギリスに降伏した後、76隻のレジアマリーナがセント・ポールズ・ベイに停泊した.

戦後、この地域はさらに発展し始めた. 現在、この地域にはたくさんの建物が密集しており、人気のエンターテイメントスポットとなっている.

 
地図 - セント・ポールズ・ベイ (Saint Paul’s Bay)
国 - マルタ
マルタの国旗
マルタ共和国(マルタきょうわこく、マルタ語: Repubblika ta' Malta、英語:Republic of Malta)、通称マルタ(Malta)は、南ヨーロッパの共和制国家. イギリス連邦および欧州連合(EU)の加盟国でもあり、公用語はマルタ語と英語、通貨はユーロ、首都はバレッタである. 地中海中心部の複数の島からなる小さな島国で、人口は約44万人. いわゆるミニ国家の一つ.

イタリアのシチリア島の南に位置し、面積は316km2で、東京23区の面積622.99km2の約半分の大きさで、人口は約44万人、人口密度は約1380人/km2である.
通貨 / 言語  
ISO 通貨 シンボル 有効数字
EUR ユーロ (Euro) € 2
ISO 言語
MT マルタ語 (Maltese language)
EN 英語 (English language)
Neighbourhood - 国  
行政区画
都市, 村落,...